メッセージの受け取り方(5)の続きです。
人は自分の経験から作った枠組みから物事を考えているのだということを説明しました。
実のところ、QHHTというのは、その普段の枠組みから離れる機会なんです。
私たちはまずはこの体という枠の中にいます。そして、家族という枠の中にいます。そして、職場という枠の中にいます。そして、日本という枠の中にいます。そして、世界という枠の中にいます。そして、地球という枠の中にいます。そして、太陽系という枠の中にいます…と羅列していくときりがありませんが、大抵の人の普段の枠組みというのは、自分の体の枠、家族の枠、職場の枠、日本の枠の重なったところにいると思います。
海外に行くと、開放感を感じるのはこの枠から一時的に離れるからなんですね。もちろん、海外でも日本食を食べたり、私は留学もしていましたが、日本人のコミュニティの中で日本人とばかり話している人もたくさんいました。これがいけないということではなく、頑なにそれまで作られた自分の姿勢を変えないことが問題なのです。そうなると、せっかくの機会なのに、海外生活しても、その人の考え方の枠組みが変わらないということになります。
QHHTでは、夢遊性トランス状態に入ることにより、普段の個人の枠から離れて行きます。これは私たちが毎晩夢を見ている時にやっていることです。だから奇想天外な夢を見たり、夢で宇宙探索したりできるのです。夢を見ないという方もいますが、必ず見ています。ただ忙し過ぎるなどの理由で思い出す余裕がないだけです。夢遊性トランス状態が夢を見ている状態と全く同じかというと、それも違います。夢見心地という言葉が一番ぴったりくるでしょうか。いずれにせよ、体の枠から離れていることには変わりません。
なぜそんな状態になることが必要なのでしょうか?
ドロレス・キャノンは『ノストラダムスとの対話 第1巻ー彼自身による予言解説ー』(Naoko翻訳にてナチュラルスピリット社より刊行予定)の中で、あることを書いています。ドロレスがこの本を書いたのは、1980年代のことなので、QHHTを開発中だったと思われます。
「生と生の間にいる時、いわゆる『死んだ』状態」に行くことができ、その死んだ状態では、「人は人生に直接関与していないためか、より多くの情報を得ることができる」、「人生を生きているときには、人の認識は狭まり、物理的な環境こそが、一般的に自分の知っているすべてとなる」
ードロレス・キャノン著『ノストラダムスとの対話』第7章より一部抜粋
そうです。「人生を生きている時は、人の認識は狭まる」のです。ここでいう「『死んだ』状態」とは、普段の個人の枠から離れた状態になるという意味です。だからこそ、自分がどんな枠を持っているかを知っておく必要があるのです。
つづく
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